ARTOColors. - 松岡 千陽 -
『職人とお客様を結ぶ色』をテーマに運営しているARTOCUには、既存の色名では表現しきれない、個性豊かな色があります。そして、その色を染め上げる職人たちもまた、十人十色。
そんな彼らの”色”を引き出すインタビュー企画
『ARTOColors.』
今回お話を聞く職人は松岡 千陽さん。ファッションセンス抜群で、さまざまなカルチャーの引き出しを持つ松岡さん。いったいどのようにしてそのディープな引き出しを増やしてきたのでしょうか。ARTOCU運営チームが深掘りしてきました。
ぜひ、ごゆっくりお楽しみください
There is no limit to excellence.
職人 松岡 千陽
1.際限なきアートの世界
-幼少期はどのようなお子さんでしたか
小学生の頃は男の子と一緒に校庭で遊んだかと思えば教室で絵を描き始めたりとか、割と両極端な感じでしたね。
絵を描くのはいつから好きだったか覚えてないのですが、母が言うには1歳2歳のころから紙とペンを渡すとずっと絵を描いているような子で、ちょっと目を離した隙にペンを握ったまま昼寝していたらしいです。
-明確に創作が好きだなと自覚したのは?
きっかけは小学校2年生の頃です。図工の先生が素材やアイデアをたくさん提供してくれる方だったので、木の板に釘を打ったり、絵の具をいっぱい盛り上げてみたり、糸鋸で木のオブジェを作ってみたり、のびのびやれて図工がすごく好きになりました。また、ちょうどその時期に母がお絵かき教室に入れくれました。先生1人、助手の方が2人の個人教室だったのですが、年齢別のコースがたくさんあったので高校受験までずっとその教室に通って、いろんな色のガラス瓶を水彩絵の具で描いたり、とうもろこしやカニ、お花のデッサンをしたりしていました。絵画教室の先生は技術を着実に丁寧に教えてくださるタイプで、図工の先生の「勢い」とお絵かき教室の先生の「繊細さ」を吸収しながら人生の多感な時期を過ごしたこともその後の美術との関わり方に大きく影響したと思います。他の教科ではいかに先生にバレずに絵を描くかばかり考えていたので、小学生の高学年くらいから絵の学校に行くしかないな、と思ってました。笑
-高校はどのような学校へ行きましたか?
女子美の附属高校に行きました。中学生の頃は漫画家になりたくて、単行本10巻分のネームを仕上げるぐらい漫画を描くのが好きだったのですが、高校に進学すると漫画研究部に部員が100人くらいいたんですよね。笑
先輩が「先生」として後輩に教えていて、先輩も同学年もイラストが上手な人しかいなくて、「自分って世界が見えてなかったんだな、無理だな」と漫画家の道は挫折してしまいました。しかも、部活だけじゃなくてみんな個性が強くて絵が上手なんです。普通はクラスに一人いるかいないかの「絵が好きな子たち」をガバッと集めたような環境に入って、「自分の絵って大人しいし個性ないし色薄いし……」と、物凄く焦りました。
-どのようにしてその焦りを乗り越えましたか?
自分の好きな色を改めて探し直して、得意な色を積極的に使うようにしたり、油絵で「最初の下地は黄土色を使うんだよ」と習ったら青を使ってみたり、とにかく好き放題やってみました。自分が楽しく描けたらそれが良い絵になるんじゃないか、周りと比較して変なことをやっていればどうにか楽しく焦りを脱出できるんじゃないか、と信じてかなり頑張りましたね。自分の美術のスタイルを全て更地にする勢いで学校生活を送っていました。また、色々なものを吸収して自分の感性を磨きました。友達から廃墟の写真を貸してもらって「ここに住みたい!」と思うくらい廃墟にハマって。周りの子が音楽が好きだったので、自分もTSUTAYAに行ってなんとなくリンキンパークのアルバムを借りてみたら「何これかっこいい!」となってドハマりするっていう。笑
「廃墟」と「洋楽」は今の自分にとっても大切な要素なので、17歳ですでに自分を形成する2大要素に出会えたのは幸いでした。
-大学に進学してからはいかがでしたか?
高校以上に画力のある人が集まってくるので、レベルの差に衝撃を受けました。特に受験で予備校に通っていた人はデッサンや静物画が上手すぎて……附属高校は受験がなくて学力順で進学先の学科を選べるので、私は受験デッサンを習ったことがなかったんです。授業以外だと絵の教室しか通ったことがなかったので、「このまま描いていても私また埋もれちゃう」と、焦りました。しかも、自分の専攻に関してもしっくりきていなかったので、入学してから1年間はかなり悩みました。
-専攻では何を学ばれていたんでしょう?
日本画です。高校の頃は油絵を専攻していたんですが、見たものをどこまで綺麗に描けるかにこだわっていたので、日本画だったら具象を突き詰められるジャンルかなと思って足を踏み入れました。日本画っていうと水墨画をイメージする方が多いと思うんですけど、墨以外にも画材があって、宝石や貝殻の粉をにかわに混ぜて和紙に描くというのが「日本画」とされる条件なんですよね。描き方にもセオリーがあって、和紙に描く以上は間違えた時に修正できないので最初に下図をたくさん描くんです。構図を試行錯誤した後に今度は本番の大きさで練習しながら微調整を重ねてようやく和紙に転写……、それを墨でなぞってやっと絵の具に辿り着く……というのが基本的な流れなんですよね。
-精密さと再現性が求められる世界なんですね
私にはその段取りが合わなくって。実は漠然とした知識のまま日本画学科に進学してしまったんですよね。なので実際に描いてみるとプロセスを踏んでいる間に鮮度が落ちる感じがあって、なんだか自分のやりたいことと違うな、と思うようになりました。露頭に迷って学校の図書室へ行って、画集コーナーでたまたま「アンゼルム・キーファー」という画家の画集を手にとったんです。そしたらアンゼルム・キーファーの作品はなんでもアリなんですよね。キーファーはめちゃくちゃでかい絵を描く方なんですけど、絵の具で描くだけでなくてわらとか草木とか、船の形の金属を貼ったりするんです。作風には廃墟っぽい雰囲気もあって、そうした作品を見ているうちに「絵画って自由だよな」と思えたんです。そこから一般的な日本画の枠からはさっぱり外れて、廃墟の壁っぽい抽象画を作る方向性に路線変更しました。描いていて楽しかったんですが、先生からの評価は渋くて。学科の中では「いつまでこのぶっ飛んだ絵を描き続けるんだろう」と思われていたはずです。笑
でもそれを4年生まで続けて、卒業制作もアンゼルム・キーファーに影響を受けた作品を制作しました。キーファーの作品の中に「オシリスとイシス」という絵画があるんです。近くで見ると抽象画っぽくて引きで見るとピラミッドのように見えるんですが、具象と抽象の間のような雰囲気とサイズ感の壮大さに触発されて、畳より少し大きいサイズの3部作を制作しました。
2.ARTOCUに、アコガレ
-大学卒業後の進路は?
卒業していくらでも働けるようになったので、アルバイトで古着屋のスタッフになりました。就職活動というのが自分には合わなくて、みんな一様の服を来て同じマナーで模範解答をして……っていうのがすごく嫌だったので、2・3社受けたあと在学時から興味のあった古着の有名店の面接を受けて、4年間ほど在籍していました。
-そこから職人の世界へ足を踏み入れたきっかけは?
仕事の一環で、古着のリペアをやるようになったんです。洋裁は未経験でしたが、ボタンの付け直しやジーンズの丈つめに始まって破れやほつれの修繕など、複雑な技術も習得していきました。解体や復元を伴うリペアでも、自主練習と回数をこなす内に徐々に腕前を認めてもらえるようになっていって、最終的に「困った直しは松岡に」というポジションになりました。リペアしたものがお買い上げいただけると接客がうまくいった時よりも嬉しくて、物を介して人と接する方が好きなんだと気づけました。次第に、お客様は気づかないかもしれないけどできるだけ綺麗にやりたい、とこだわりが出てくるようになったのですが、お店ではそこまで求められていなかったので、だったらもっとこだわりを持って技術を発揮できる場に行けたら楽しく働けるんじゃないかな、と転職を考え始めました。
-yuhakuとはどのように出会いましたか?
求人サイトで「革を染める」というワードが出てきて、よくよく見ていくと1枚1枚手で染めていることがわかって、興味が湧いて応募してみました。また、yuhakuについて調べていたときにARTOCUの存在を知って、量産をやりながら自分の感性のままにものづくりができて、それをお客様の元に届けるシステムがあることに感動して「これをやりたいな」と強く思いました。
-実際に入ってみていかがでしたか?
入社して、小学生ぶりに「これだけ頑張ったからOKにして欲しい」と思いました。笑
自分のこだわりってそんなに強くないんだな、というのを思い知りましたね。自分の技術が追いつかなくて苦しい反面、想像のはるか上のこだわりを持った人たちの集団に出会えてすごく嬉しかったです。ここにいたら絶対に成長できる!と思える環境でした。
-「職人」としての学びはどのように深めていきましたか?
最初は染料の基本も正解もわからないけど、染めの見本を見ながらとにかく同じ色を同じところに乗せてひたすら真似して練習して……という感じでした。そこから生産に入れるようになって大量に手を動かしていると「ここに染料を入れるとこんなふうにぼやけるんだ」「あ、前に習っていたことはこういうことだったのか」と、教わった理屈と自分の感覚とが繋がるようになってきました。これから良い悪いの基準がしっかり見えてくるようになるともっと成長していけるのかな、と感じています。今はまだ多少の技術と伸びしろが身についてきたくらいなので、この技術をどう温めていくか考えるのが面白い段階です。
-yuhakuの製品を染める中で大事にしていることはありますか?
革の中で必死さを出さないことです。染色の時にあまり触りすぎると革の表面が荒れたり、経年変化した時に色ムラができてしまって良くないんですよね。手慣れた感じで余裕を持って染めた方が余計な手跡がつかなくて済むので、お客様が見た時に気持ちの良い染めになるのかな、と思います。とはいえ、手数を増やさないと自分の至らなさをカバーできない葛藤もあって難しいです。なので今は染めのお手本に近づけながらもやりすぎない、ほどよいところを探っている最中です。
3.個性と挑戦の間で
-ARTOCUの制作について教えてください
「am(m)o」の制作はyuhakuの生産で使っていない色を使うとどういうふうに色が混ざるんだろう、という好奇心からスタートしました。
いざ色を選んでいくと、金属の光沢やコンクリート上に流れ出たガソリン、真鍮のゴールドが混ざったような彩りになりました。珍しくいろんな色を使っていて、どうやら自分は今、こういう色を求めているらしいけれど、それってどういうことなんだろう、と自分の感覚を自分で翻訳してみたんです。そうやって考えを深めた時に、「人それぞれの個性」を表現したいのかな、という答えに行きつきました。今の時代って、自分らしさとか個性とか「らしさ」が重視されている一方で、協調性や統一感が求められる雰囲気も感じていて。そういう状況でも自分らしさを強く持つ助けになる作品が「am(m)o」なのかもしれないな、と腑に落ちました。
-制作する上でこだわったことはありますか?
自己満足の作品にしないことです。個人の作品は白や黒、アイボリーをメインに、少ない色数でいかに魅力的にまとめるかに重きを置いているので、今回の制作とは真逆のスタイルなんです。でも、自分の好きな色で好きなように描くのであれば個人制作を展覧会に出すのと変わらないので、作品の向こう側に「お客様」がいることを意識して制作しました。なので、色数に制限をつけず、表現豊かなものになるよう心がけました。
-廃墟や洋楽からはどのようにインスピレーションを受けていますか?
洋楽に関しては、耳から得た感覚を自分というフィルターを通して可視化したい、という気持ちが強いので、好きなバンドの曲のサビに入る時の「勢い」と「没入感」を絵にしたい、と思っています。あとは何気なく歩いていてあの家の壁の色いいな、とかなんとなく印象に残ったものを気づいたら絵の具で再現してる、というのが多いです。無意識のうちに目や感覚で色々なインスピレーションを拾っているので、絵のために取材……とかはしたことがないです。廃墟は、荒れ放題なのに「ここならゆっくりいられるかもしれないな」と思うんです。私は人との関わりが得意じゃない意識があるので、生活様式がギリギリ残っているのに人がいない不在感みたいなのものを感じると、ホッとするんですよね。廃墟好きの方は廃墟にノスタルジーを感じることがあるみたいで、もちろんそこも好きなんですが、自分の場合は人がいるべきところにもう誰も、何もいないという矛盾に強く惹かれます。そういう気持ちで廃墟を鑑賞しながらあの壁の色いいな、とかなんとなく印象に残ったものを気づいたら絵の具で再現してる、というのが多いです。無意識のうちに目や感覚で色々なインスピレーションを拾っているので、絵のために取材……とかはしたことがないです。
-松岡さんにとって色とは
世界共通の言語なのかな、と思います。同じ赤でも寂しそうとか楽しそうとかニュアンスがあって、それって国籍が違っても伝わりますし、言葉で表現できないことを補ってくれる自由な存在なのかな、と思っています。個人制作だと色にメッセージを込めることはないのですが、ARTOCUでは見た人がどういう風に感じるかというのを重視して、色で気持ちを表現するスタイルにも挑戦したいです。
-これからどのような作品を作っていきたいですか?
革ってどうしても傷がつきやすい素材だな、と思うので傷が肯定的なものになる作品を作ってみたいな、と考えています。例えば古着的な観点でいうとデニムは色が落ちてもアタリがついても全て”味”になるので、ボトムスの中でも結構「汚れても大丈夫でしょ」という感じで着用されています。革も経年変化による味を楽しめる素材なので、もっともっとデニムみたいに気軽に使えて味や風合いを大切にできるアイテムが作ってみたいです。経年変化が「仕上げ」の工程になったり、アタリや予期せぬひび割れが作品のワンポイントになったりとか、使用するうちにどんどん付加価値のつくものが作れたらいいですね。具体的な構想は全然決まっていませんが笑
-今後ARTOCUをどのような場にしていきたいですか?
自分の感性を自由に出せる場所であり、お客様の感性とも繋がれる場所でもあるので、どちらも大切にしながら参加していきたいです。ずっと憧れてきた企画ですし、先輩たちの制作をそばで見てきたので、今はとにかく、やっと自分もここに入れるんだな、という達成感でいっぱいです。
ARTOColors.
- Color is in the eye of the beholder -
最後までご覧いただき、ありがとうございました。いかがでしたか?
今回は染色職人 松岡 千陽のArt & Culture を深掘りするインタビューでした。
今後もARTOColors.では職人たちの持つさまざまな”色”をお届けしていきます。
次回もお楽しみに。
お客様と職人を結ぶ色が、暮らしを豊かにする
ARTOCU